想像する力
2017年8月25日 14時57分田舎に帰っていた時に目にしたコラムを紹介します。
山形新聞8月13日
重松清 暦の余白に(33)より
「心の痛みを想像して」
仕事で世界各地を回っている友人は、新しい国を訪れるときは必ず事前にその国の「痛みを表現する言葉」を勉強していく。腹痛なら「ズキズキ」「キリキリ」「シクシク」は、現地の言葉ではどう表現しているのか。その使い分けができないと、急病になった時に痛みを医者に正確に伝えられず、命にもかかわってしまうものだ。
なるほど確かに、痛みを他人に伝えるのは大変である。微妙なニュアンスになればなるほど、自分の言いたいことがどこまで伝わっているか不安になってしまう。
逆の立場でも同様。お子さんに「ちょっと具合が悪い」と言われて、その「ちょっと」のは基準が分からずに困ってしまう親御さんは、たくさんいるはずだ。さらにさかのぼれば、赤ちゃんが急に泣き出した時、原因がわからずにおろおろしてしまう新米パパやママも、きっと・・・
まったくもって、自分の痛みを伝えること、他人の痛みを理解することは難しい。「自分」と「自分以外の人」を分かつ壁の存在を改めて突き付けてくるものが、痛みなのかもしれない。
心の痛みなら、なおさらである。
夏休みも終盤、2学期の始まりが見えてきて、胸の奥が痛くなっている子供はいないか。「子供のSOSを見逃すな」とよく言われる。だが、心の悲鳴は往々にして「SOSには見えない形」であらわれる。だからこそ、おとなは想像力をもたなくては。本人がうまく伝えきれない痛みをすくい取らなければ。自戒を込めて思う。「自分」と「自分以外の人」に架かる橋、それこそが想像力なのだから。
「どうせ自分の気持ちはわかってもらえない」と子供に言わせたらおとなの負けなんだぜ。
最後の一文はグサッと胸に来ました。心して受け止めたいと思います。
子供同士でもお互いの気持ちを想像する力は必要です。「他人の痛みがわかる人」に育てる。学校・家庭・地域で協力して向かっていきたい目標です。