そうしていないと、なんだか気持ちわるい
2017年11月10日 11時16分十歳のきみへ
九十五歳のわたしから
日野原重明 (富山房インターナショナル)より
もう少し抜粋してお届けします。
〇そうしていないと、なんだか気持ちわるい。
家庭は、そんな感覚を育てる畑です。
食事にまつわることでは、家族で分け合ったという思い出のほかに、もうひとつ、私の家族に特有の習慣がありました。
父が牧師でしたから、食事の前に、必ず手を合わせてお祈りをしていたのです。毎朝、家族が食卓にそろったところで、6人の子どもが毎日一人ずつ感謝のお祈りを唱え、それからようやく食事が始まりました。
ところが、小学校に入って教室で他の友達といっしょにお弁当を食べるようになってみるとお祈りを唱える人は誰もいません。
それまで当たり前だったお祈りが一変してクラスメートには知られたくないものになりました。「みんなとちがう」ということは子供心にはとても気恥ずかしいものだったのです。
一方でお祈りを済ませてからでないと箸をつけてはいけないという気持ちも強くありました。みんなに気づかかれないように、机の下でこっそり手を合わせてものすごく短い祈りの言葉を口の中で唱える、時にはお祈りを省いてしまったこともありました。
でもそうやってお祈りをごまかした時の後味の悪さは、実にいやなものでした。
こうしていないと自分はなんだか気持ちが悪いという感覚は、実はとても大切なものなのです。いつも頭で、これはいいことだからやる、これは悪いことだからやらない、と考えてから行動できるとは限りません。いいことだとわかっているけれども行動できないということもあれば、そもそも頭で考えることが間違っていることもあります。
そんな時にたよりになるのは、習慣として育んだ、「なんだかやらないと気持ちが悪い」という感覚なのです。難しことばで言えば、それは倫理とか美意識と呼ばれるものの根っこにあたるものだろうと思います。
少ないお肉を家族で分け合うことも食事の前に感謝の祈りをささげることも、私が家族と過ごした長い時間の中でゆっくり育てられた、人間としてのよい芽のようなものです。
何よりも家族が大事だ、と私が思う最大の理由は、そこが人間としてのよい芽を育てる畑だからです。
*「そうしていないと、なんだか気持ちわるい」とても大切な感覚ですね。
そういうものをいくつお持ちでしょうか?