きみに託したいこと
2017年11月8日 16時58分十歳のきみへ
―九十五歳のわたしから
日野原重明 富山房インターナショナル より
*もう少しご紹介をさせていただきます。
きみに託したいこと の項から
(大変多くの人々が苦しい思いをした太平洋戦争が終わったが、本当の平和とは何かという投げかけがありました)
わたしたちは、つつましい生活の中にある小さなしあわせをも実感できていたのに、ゆたかさを追い求めるようになってから、そのセンサーをにぶらせてしましました。あれほどありがたいと感じていたものたちからありがたみが消えて、どれもみなそこにあることが当然だと思うようになってしまったのです。それとともに、ほかの人のことをおもんぱかる想像力もおとろえてしまいました。
おもんぱかって感じとる力がおとろえて、その代わりに、まるでコンピュータが情報を処理するようになんの感情も入れずにものを見るようになったみたいだと、わたしは感じています。
さっきもお話ししたように「知る」という行為は想像力や思いやる力を同時にはたらかせながら行うものです。けれど、いまわたしたちがしている「知る」のなかにはぬくもりがありません。ただ情報として処理しているだけです。
そうなると、どんなにたくさんのニュースをテレビや新聞で見聞きしても、見知らぬ人の話はどこまでも他人事でしかありません。
「ほかの人の痛みは、その人の痛みであって、わたしにはまるで関係ない」
と思うことに慣れてしまえば、たとえば戦争も「ここ」にないかぎり、自分が解決に乗り出すべき問題として自覚されることさえ」なくなってしまいます。
想像する力が弱くなることが、
いちばんこわいことです。
知る力がおそまつになったとき、他人はどこまでも自分とは関係のない存在にしか見えなくなってしまいます。戦争を遠く離れたところから見ているときも、戦争の当事者になってしまったときも、自分のこと以外は理解しようとも知りたいとも思えなくなってしまいます。
想像力やおもんぱかる力のおとろえは、これからの世界にとって最大の危機かもしれないとわたしは案じています。そのことを、もっときみの日常に関係するような例をあげてお話ししてみましょう。
*この後、子供たちが実際に遭遇するであろう場面をもとにお話が続きます。